おとうさん
たぶん6年ぶりにおとうさんに会った。
メールで指定されたカフェに行ったが、
待ち合わせですか?と店員さんに聞かれて、あの人です。とすぐには答えられなかった。
思ったより見た目は老けていて、最初、自分の思っていたおとうさんと違っていたので驚いた。白髪混じりの髪の毛はそこまで散っていなかったのでハゲの遺伝子ではないことには安心。
向こうも自分の娘が思っていたのとは違ったみたいで、最初は娘だって認知するのに一瞬戸惑っていたみたいだ。
お互い、親子関係にあったとしても六年分の娘の成長についていけない老いぼれと、まぁまぁ成長した19の娘はぎこちなくて、気持ち悪い空気に沈黙しないよう必死に話題探しをしたけれど、
なんで私がそもそも父親に会おうなんて思ったのか分からない、、、
男の人が気持ち悪くて嫌いなのは、父親という人間の存在の有無と、私の実際の父親の狡い性格の影響とか色々重なって出来上がったはずかのに、、、???
今の自分なら心にゆとりがあって、まともに話をできる自信があったはずなのに、実際は違った、、
お金ください、なんて言ってもいないのにお小遣いを最初に渡された
なんだかこれでは、私がせびったみたいじゃないか、誕生日も覚えていないくせに!と言いたかったが、、
貯金しておきますー、なんて適当な事言って頂戴した。
お前養育費払ってないもんな!まぁ、足りないけど足しにします!!!
身長高いと思っていたけれど、163cmになった今、そこまで大きく見えなかった。
小さい時はあんなに大きく見えていたのにね、、
178cmで一級建築士で自分で事務所設立なんて、肩書きだけ書けばご立派かもしれないが、私の目の前に座っているのは、あまり生気がしない気味の悪いおじさんだ
終始、嫌悪感しかなかった
小学生より酷い文章で大変申し訳ないが、一応、会った事を回顧録として残しておく。。。
もう他人だった、
目の前のセッター吸ってるおじさんは他人だ、
多分、私の想像の中の父親は死んでしまった
そう思うと都合がよろしい、。
ちなみに娘もあまり出来がよろしく無いので、おじさんとしても娘は居ないもの同然だと思えばいい、それは伝えて帰ろうか迷ったけど言わずに、
病院混むから先に行くね
と、適当な嘘で店を出た。
雑で乱文すぎるけど、
めでたしめでたし!!
後日、
小さい頃は食べていた?
こんぺいとうをもらって食べていたら、
歯の詰め物が欠けた!
のでこれは捨てることにした。
パッケージ
例えるなら容姿は商品のパッケージで、自分自身である商品はパッケージを開けてもらう回数が増えるごとに中身の素質、充実さがいかにあるか知ってもらえて、勝負はそこからだと思うんです、。
見た目に固執していても、中身が粗悪品だった、なんて事、よくないですよね、。
様々なニュースや本や映画や漫画で色んな文化的な見解も知識も広げつつ、興味あるものを見つけてそこを突き止めていけばいいし、色んな方ともお話が広がって人脈も増える。
でも、容姿からのアプローチが強い時もあるし、自分の至上が相手にとっては別の好みであるときもある。
全ては巡り合わせだし、己で広げていくしかないけれど、何もせず、にもかかわらず自分の原状に酔っていて、その上愛されたい。だなんて、いくらなんでも傲慢でどれだけ容姿が美しくても、無知が何時までたっても可愛いわけないじゃないですか。人に愛されたいなら、それなりの努力必要ではないですか?
自分が毎日の最高のコンディションでいたいから運動も食生活もたまに身体を整えてもらうことも大事にしているつもりでも、価値観が違う人からしたらそれは節制であり自己愛に繋がらない、人から受けが良くないと思われてしまうけど、明日の自分を愛してあげられるようになりたい。
筋トレでぷにぷにしていない二の腕、お腹、太ももは可愛くないですか…
でも、私は着たいお洋服、アクセサリー、靴、バックに似合う女の子になりたいんですよね…
最高に自己愛が高まる瞬間って、好きなものが似合った瞬間なんですよね…
自己愛がないのに、人に好かれるわけないじゃないですか…
好きな人のパッケージと中身、なりたい自分のパッケージと中身。。。
これが相違しているなら二人は相性がよくないってことですかね。
生きる
わたしは生きます
何年かかるかわからないけど、約束を果たしたいと思います。
リミットは設けないといけませんけどね、
ここ数日、学校をやめて、何ヵ月もわたしの方から拒んできたかつての友人たちとお話をしています。
自分が恥ずかしく、自身が持てるようになったらまた交遊してもらおうと思っていましたが、実際そこまで強い人間ではなかったです。
みんなと話をして本当によかったと思いました。
わたしの事を親身に、一生懸命悩んで励ましてくれる人がこんなにもいたのに、わたしは本当に身勝手でした。
生きていく力がほしい
誰かと支えあっていきたい
人生リセットしたい
これが今のわたしの理想です。
母とも沢山最近話せています。
自分の事、包み隠さずではありませんが、色んな人と話してインスパイアされていい方向へ私は向かっている、と伝えられました。
でも一つだけ、
神様にどうしてもお願いしたい事があります。
2013年に私たちを戻してください
夜になると催眠剤を飲んでいるのにかかわらずふと目が覚めてしまいます。
心にしっかり生き続けているよ
私のなかで生き続けてほしいな
今、朝日を浴びてセロトニン分泌されています。
コンディション整えたら、次のステップへ進むために頑張ります。
最高に爽やかなブログかけて満足していますが、最高潮に鬱の波が襲ってきたら、誰か助けてください。
私も言葉の重さ、人とのかかわり合い、18年生きてきて、それなりに辛い十代ですけど学んだことは沢山あります。
もう少し心のキャパを広げていきたいと思っているので、私も誰かを助けられる立場になりたいです。
最近教わった言葉、
人生は暇潰し
選ばれるより選べる人間になれ
この二つ、めちゃめちゃ気に入ってます。
メンクリにて
先生と相談した上、
思考を停止すること、、
この答えにたどり着きました。
遊び呆けるのも、人と会うのもよし、、
社会的な身分は忘れなさい、
でも勉強しないと!と言うと、
自分の患者が死にたい死にたいと、
自分で自分の首を色んな意味で閉めてるのにそんなことするな、との回答をいただきました。
自分のキャパを越えない程度に遊びます、思考を停止してバカになります。
でも焦って勉強しないと、勉強しないと、と思うので勉強しま〰す(^_^)v(^_^)v(^_^)v
わーーーー(^_^)v
自分で決めたことなのに投げ出すなよなたわけ者めが!!!!!!!!!
浪人生に人権はねぇんだよ!!!!
鬱だの言ってる暇ねぇんだよ!!!!!!
身体が動かなくても動けよ!!!!!!!!!
自分で限界決めんなってなんかのセリフにあったじゃん(^_^)v
自分だけ辛いアピ痛々しいよな(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v
頭そろそろ壊れてる(^_^)v(^_^)v(^_^)v(^_^)v
学校をやめるまで 3
夏休み前、学校へ申し出ました。
試験もまともに受けず、単位を習得するのが困難だと母と協議した上で決めました。
一般受験生は二学期までで単位習得は済みますが、三学期まで登校すれば卒業はできるよ、と夏休みまでに考え直しなさい。
と言われ、ひとまず夏を過ごしました。
鬱で引きこもりでしたので、どうやって夏を過ごしていたかあまり覚えていませんが、蝉の声がいやでいやでシャッターを締め切り、真っ暗な自室でひたすらいました。
周りに辞めることを伝え、また私は見栄をはり、大検とって大学進学する!
と大口叩いていました。
実際、その予定だったんですけどね。
ついに退学届けを提出するとき、校長や理事長?まででてきました。
どうでも良い余談ですが、校長は猫に対してすごく優しい方で、病気の猫を何匹も引き取っては最期まで面倒を見るという動物愛護の観点からすれば素晴らしい方です。
一つ忘れられないのが、猫のかおを見て、貴方は早慶上智並のお顔ね、と仰ったことです。それで人間の何が計れるかと聞かれたらなにも、、と答えますけどね。
担任、学年主任、校長、理事長を対面に、私と母は座りました。
こういうときはこんなお顔なんですね、と担任に対して思いました、面談室での私との話の際、貴方はこんなお顔していませんでしたよ。
本当に私が不穏因子だと思っていたと実感し、先生方の最後の止めにかかったお話はよく覚えていません。
○○さんは優しい子で…と嘘つけ、今までの言い方とまるっきり違う言動に、私はじっとこらえていました。
はっ、と横を見ると母がとなりで泣いていました。
この子には父親がいなくて、代わりに育て上げてきたつもりなのですが…とそんな事を泣きながら、この人達に伝えなくてもいいのに、、
そんな辛い思いまでまた母にさせてしまった、と、私も思わず、この人たちの前では泣きたくなかったのに泣きました。
自業自得な、わたしの自堕落な学校生活がこの結果を招いた、最高の親不孝ものです。
しかもまだ親になにも返せていません、迷惑しかかけていません。
私に流れる父の劣性遺伝子は、母を傷つけました。
最後に学校を出るとき、担任は部屋を出た後まではついてきました。
親子、階段を降りて上を見上げると担任は、
それでは、さようなら。
と地下の下駄箱のある階にいる私たちに向かい、玄関のある一つ上の階から言い放つと、すぐに消えていきました。
忙しかったんでしょう、不穏因子の後片付けも沢山しなければなりませんからね。
母は、ボソッと、"外まで見送らないんだ…"
と言いました。
私は適当に、お腹すいちゃったー、なんて言いながら、そうです、そうなんですよ、と強く奥歯をくいしばっていました。
その後、靴をはきかえ、この学校の敷居を跨ぐ事はないことに安堵をし、母の運転する車で家まで帰りました。
さよなら、さようなら!