不良品


どんどんポンコツになって、
忘れものも増えました。

今日も鍵をポケットに入れたまま、ない!ない!と一人冷や汗をダラダラと流していました。


ポンコツ度合いは増していきます。
頭と心と身体の三点が上手く繋ぎ合わせて人は生きているのですが、私の場合、もうずっとバラバラです。


お腹一杯でも咀嚼していないと不安で落ち着かないときもあれば、何も食べたくなくてギュルギュルとお腹はなるのに口にした瞬間吐き気を催したり、頭は勉強しなくてはまずい、したい!のはずなのに身体がうごきません、心が重たくて、重たくて。

ただ、死ぬということを考えると不思議とこの三点が繋がるんですよね。

ずっと、自己啓発本を読みあさり、
私は甘え!私は甘え!私は甘え!
自己愛が足りない、そのための努力が足りない!

もう見栄も虚勢も疲れました。
誰を攻め立てる気もありません。

ただ、明らかに正常に機能しなくなった今、恥ずかしくて恥ずかしくて、生きていることが恥ずかしくて、、、


こんな不良品でも死ぬと困る人間もいるので、
悲しんでくれる人は何人かは思い付きますが、、、
お葬式なんて、告別式なんて要らないなって思います。
ただただ死にたくて仕方ありません。


でも今も誰かのために、心臓がいきなりとまってくれない限り、恥をさらして、何もせずに生きているのが、自分を許せずにいます。

不良品でも生きないと責められちゃうんですよ、
死んでも責められちゃうんですよ、
わたし生まれてきてよかった人間ですか?

見聞広げたらもっと生きても良いと思えますか?
なにかに盲信して生きてても良いと思えますか?

わたしはどこから踏み間違えましたか?
どこから壊れてしまったのか教えてください、

高い医療費ももう嫌です、
辛いことから逃げる薬ももう嫌です、

何もかもが自業自得なら、あと少し努力する力をください。

なぜ?


みんな、なんでそれをバネに出来るんですか?
どうして頑張ろうって思えるんですか?
色々お話を沢山して耳に入れては自分にも言い聞かせています
別にいまに始まったことなんかじゃないです

わたしは己の身がなんだかんだ可愛いとおもっていますね
己が頭を使いたくなくなりました
楽にさせたくなりました
ただ準備と決意がまだふにゃふにゃなだけです

一人の時

みんなはきちんと当たり前のことをこなして、
わたしは身体が動かないとベッドで一日何十時間も眠りこけます。

当たり前にやることをやって、楽しく友達と遊び、
アルバイトの愚痴を言ってみたり、忙しく疲れながらも文化的な生活を送って楽しんでいて、自分のために生きることに一生懸命です、中にはもちろん違う人もいるとは思うけど大半はそうなんだと思います。

私は人前だとすごく気張ります。
見栄はって、何でもやりますからと、責任の負えないことはもう言いませんが、なるべく見栄はって行動した後、鬱の最高潮がやってきます。

私が実はうつ病なんだ、と言うと
ある人は、分かるよ、そういう人いるよね。
ある人は、皆、名前のない精神病を抱えても頑張ってる。
ある人は、それって治らないの?もう少し頑張れない?
ある人は、何年かかっても頑張ろうね!
ある人は、まだ19なんか若いんだからいくらでも人生逆転だよ!
ある人は、他人と比べたらダメ。あなたはあなたのやることをやりなさいね。

何を言われたらどう答えるか、ちょっとテンプレもありますが、大概、
えへへ、そうだよねー!頑張る頑張る!


って、鏡で練習した作り笑いでヘラヘラします。
私のしゃくり笑いが心からの笑ったときで、変に広角横に開いて三日月笑いしたときは大抵作り笑いです。
ネットで他人に好印象を持たれる笑いかたを調べましたもん。

だからもううつ病なんです、ともう最初にお伝えして理解のある人しか関わるのを拒む癖もでてきました。
いや、努力しろよ、お前は甘えが強すぎる、みんな辛いなかやってんのに、ヨシヨシしてもらおうなんて考え捨てろよな

昔の自分からしたらだいぶ下方修正をしてきました。 
誰かに何かを影で言われて見返そうとすることをエネルギーに回していたあたり、私はカラッポ人間なのを痛感します。

やりたいことは?
何で音大いかないの?
音楽は確かにピアノを4歳から続けてきたので人様よりは器用にできます、好きですし。
たまに教えたり(監視役)、絶対音感のお陰ですぐに耳でコピーしたり、楽典のお勉強を独学ですが進めたり。
ただ、音楽を嫌いになった瞬間になにも特技として言えるものが無くなるのが怖いんです、これ以上カラッポ人間になりたくない。



ここ数ヶ月は凄く前向きに生活していたと思います。沢山本を読み、勉強もし、嫌いな容姿の為に多方面でアプローチをかけたり、自己愛を強くさせるための努力というものをなるべくしてきたつもりです。

たった数ヶ月だったけど、その私を物凄く褒めてくれたやつがいました。
私のどん底から知っていたと思うので、それに比べたらマシになったねと思ってたんだと思います。
それでも私はすっごい喜びました、わー!!って子供みたいに喜びました。


私より社会的にも人間性でも格段に、桁違いに上の人間でした。
でも誰にたいしても優しいんです、自分には厳しすぎる人でした。
女の子でした。
好きな人がいて、好きな人のためなら何でもしたくなっちゃうの、とそこは可愛い可愛い19歳の女の子でした。



わたしの方が精神病歴と言ってはなんですが、並みはあるにせよ、長いです。
自慢じゃないんですけど、小学生のときは受験と学級崩壊といじめのストレスで髪を無意識にむしる衝動が続き、結んでも隠せない程のハゲになりました。
最近も小さなハゲ跡があります、ちらほら定期的にハゲたり、皮膚疾患としてあらわれたりしています。
もう一度言いたいのは、可哀想だね、といって欲しいのではありませんからね、。


そしてやつは頭の良いやつだったので、みんなの予想を超えていってしまいました。


確実な未来がない事への不安は、精神病は人一倍強いです。
波もあるので、ちょっとした予定も確実に決まらないとソワソワしてたまりません。
私は、待て!ができないワンちゃんと同じです。


別に模倣するわけではないですよ、
ただ、不安定なものを手放しは、確実に手に入れられることができた、今は羨ましくも悲しくも馬鹿にされてる気すらします。
でも苦しかったね、楽になれたね、うんうんうん。


わたしの方が消えたい消えたいと言う気持ちを殺して、プライドなんか捨ててまで、心臓は残念ながらまだ使い物になるみたいなので生きています。
プライド、もうズダボロでイカ腕にはなってないけど自分を傷つける行為を別の方法で無意識にとっていて、あさになると色んなところに血のあとがのこっていたり軽くホラーです。



あと一度だけでもいいから愛されたいなぁ、自己愛なんかないやつ、愛されるわけないってわかってるけど愛されたいなぁ、、、



一人になるとよからぬことしか考えていません。
ただ誰にも慕われてもいないので孤独で孤独で仕方ないです。
愛される、慕われる努力や病気を辛抱する忍耐と一瞬の苦しみだったら、皆さんは何を選ぶのでしょうか。



植物人間のように生きて、親の脛をかじり、心臓を動かし呼吸をしている私は次にどんなアクションをおこせるのでしょうか。
こんな状態でも人は私に生きてなんていうのでしょうか。

ああ、文才ない。

ふたしかたしか

 

 

わからないもんって減らないもんなんだな

扉を開けたらまた次の扉があるだけ

 

今を重ねて 迷いを振り払って

 

確かなことを一つずつ集めてここまできたのに

前だけ見て生きるにはあまりにも不確かなことばかり

 

 

これさいごに聴いてたのかね

gogo7188の曲です。

カラオケでも何時間も歌ったね、

私たちのバンド組んでた頃、ほんっとよく聴いたし歌ったし演奏したし盛り上がったね。

 

私の演奏と歌はじめて褒めてくれたとき

大会で会ってマルチエフェクター一緒!って盛り上がったとき

バンドで出会った私たちだけど、正しい使い方しないと先生たちに怒られたでしょ

忘れちゃったの?

 

 

 

またC7をハモって歌いたいよ

ジェットにんじんでアホみたいに歌って

ジュリマリ歌って

明菜ちゃんも百恵ちゃんも中島みゆきオバサンも

林檎も、向井秀徳のモノマネしながら歌おうね

 

わたしがギターもキーボードも弾くから

バンドあとちょっとしたらボーカルやるって言ってたよね

 

私たち、ゆうりと曲作ったじゃない、

あれわたし完成させたんだよ

あとはあなたの歌声があれば完璧だったのよ

 

追い付けない、何て言うのね!

 

この世に限りはあるの?

もしも果てが見えたなら

どうやってたのしもうか?

もうやりつくしたね、

じゃあ何度でも忘れたらいい?

またで会える?

 

この歌生まれかわってまた出会いたいって言ってたけどそんなことできる?

できるならわたし今から生まれ変わりたいよ

 

 

 

今なら林檎よりもっとうまく歌えるでしょ

曲作って映像くっつけてくれるんでしょ

ねえねえねえねえってば

 

 

 

 

学校をやめるまで 2


つづき

書きますけど、主観的に書いていくので、被害妄想も含まれているかもしれないです…

私はクラスにこれといって仲の良い友人はいなかったが、クラスの皆は特に誰かを妬み意地悪をするわけではなく、女子校特有の雰囲気だけ持っていたと思います。

クラスの大半は推薦等でそれぞれの進路に進める安心感があったため、一般受験の私はそれとなく疎外感がありました。
移動教室も、ほぼ一人なのは私に協調性のなさが原因なのか、それとも…
まぁ、皆は共通の話題があったけど私には無意味なので当たり前ですが話す話題を見つけるのに必死でした。


高校三年生なので自習の時間も増えていくと、定期テスト前はみんな真剣に手を取り合って勉強する姿は、学校側がいつも強調して言っていた"受験は団体戦です"というフレーズにぴったりの姿で、いつもはそそくさと教室から出ていく子も教室で勉強し始め、"頑張ろ!頑張ろ!"と、皆、自分のことになるとがぜんやる気をだしていたのを思い出します。


対照的に、私には定期テストは苦痛でした。
何故なら、受験はまだ長期戦であり、短期決戦のように捉えている子達とは違いましたし、
もちろん、定期テストだって勉強するに越したことはないし、不必要なことだと思えてもやるべき事はやらなければならないですけど…

でも、推薦向けのクラス編成に、推薦向けの定期テスト、推薦向けの授業、推薦向けのお友達編成……

最後はちょっとおかしいな笑
なんか気持ち悪さがありました。
なぜ私はここに組み込まれているのか、不思議で堪らなかった。
今さら解釈してください!何て求めませんけど、偶然なんですよね、余り物なんですよね…

仕方ないし受け入れていかなければならない。
ギャアギャアと自習の時間も騒ぐクラスメイトとの声に負けじと耳栓をこっそり入れ、なんとか勉強をしていました。



長期戦の私は、残って塾がない日や、それまでに時間がある日は勉強することにしていた。


今でも絶対忘れないのが、一人まで残っていると、あれは担任の励ましの言葉ではなかったです、事務的連絡です。
"カーテン、電気、消すのわたしの仕事なんですけど。やっといてくれるの?"
毒を含んだ言い方ではない、この人は普通に伝えているだけなんだって解ってはいたけれども、、勉強は自分のためにしなきゃ!と思っていたけれども、ちっとも応援されていない事はわかりました、

人間、合う合わないはありますよね。
わたしはあなたとは合わなかったです。


不満を述べると尽きないです。
まぁ、私は幾度か学校のルールに背いて違反を起こし、この度に叱られるのはごもっともで反省すべきでしたが、
保護者の態度によって生徒に叱る度合いが確実に違うことに腹をたてていました。
お前がなにも起こさなければいい話です、その通りですけどね。
流されてしてしまったこともあります。

無宗教ながら、懺悔室で懺悔をするように言いますね。

"私は授業中、はしゃぐ友人たちをカメラにおさめ、それをSNSに投稿してしまいました!なんて私は罪深いんでしょう!"

そして宣教師は、
"あなたは友人たちをSNSという誰もが見れる危険にさらしましたね。それは友人たちが襲われてしまってもあなたは責任がとれるのでしょうか?とれませんよね?さぁ、懺悔をしなさい。"

"本当にごめんなさい!本当にごめんなさい!本当にごめんなさい!"


というのは茶番ですが、大体こんな感じです。

いやいや、パンフレットに思いっきり顔写真載っけてるんけ!!!
Facebookに思いっきり女子中高生達が載ってるやんけ!!!!!
今頃、どんなオッサンのおかずになってるかしらないんですか!!?、?!??
広報だかなんだかしらないけど、女子校の女の子たちをタダで合法で見れるんですよーんと、若い子達が好きなおっさんたちは今頃舌を出しているでしょうね。


懺悔してひとしきり私が泣きじゃくったあと、母は飛んで謝罪に来ました。
申し訳ありません!申し訳ありません!
母は父がいない事を引け目に感じているので、娘のこういう不祥事には必ず駆けつけて謝罪していました。

ある先生は、"貴方のお母さんはとてもいい人ね"
と言いましたが、都合よくいつでも頭を下げに来る母親がいい人?娘思いの母ですよね、そうですね、と思っていました。が、

あれ?なんで他のお母様は謝りにいらっしゃらないの?
と疑問に思った時、
あぁ、モンスターペアレントではなくて、学校に都合が良い母親のことをとてもいい人ね、と表現したと感じました。

だって、わたしと同じ不祥事を起こしても、他の母親は謝罪にはきませんもの、よっぽどの事を犯したら来るのかな。

学校への信頼度なんてもう高校三年生になってからすっかりなくしていましたよ。

体調が悪いのでお休みさせてください、と母に代理を頼み、担任から代わってほしいと言われましたが、拒否し、私が電話にでなかっただけで、次の朝、皆のいる前で"何故でなかったんだ!"と責め立てられたこと。

何度も面談室に呼び出されては、士気が落ちるだの、お前が休むと皆に迷惑がかかる、いいか、お前は迷惑をかけている不穏因子だ、

これ以上、自分で言うと辛いので言いませんし、尽きませんし、過ぎたことです。
私の被害妄想の強さも多少なりともあったはずだとは自覚はしていますが、この言動たちは私の事をどんどんうつ病へと追いやられました。
こういうことは大概やった本人は何も覚えていないことが多いです。
担任、教室と言えど、人間と人間です。
私ももう19にもなりますから、そこは理解はできる年齢のはずですね。
でも、発言には責任が伴う事は身をもって実感しましたね。

元々成績の良くない、やる気のない所からのスタートであった受験のストレスと学校への不信感、孤独感、そして次はわたしのどんな行動がこの人の反感を買い何がいけないのか脳が既に正常に動いていなかったので、どんどん足は学校から遠ざかりました。