学校を辞めるまで




⚠︎これはわたしがわたしを忘れないように書き留めていく実話の駄文です




中高一貫の女子校に通っていたわたしは六年目の夏に学校を辞めた。


わたしは特に勉強ができるわけでもない、何か秀でたものがあるわけでもない、やりたい事があるわけでもない。
せめて与えられたものをこなして卒業を迎えられればよいものを、あと数ヶ月の辛抱もできず辞めたのだった。


わたしは片親で、家には母しか居ない。
母は家事、実家の家業、子育て、介護を一人でこなす大変な身である。
わざわざ早く起き、どんなに疲れていてもわたしのために毎朝お弁当を作ってくれていた。
父親がいないことに引け目を感じさせないようにと、わたしの望むことはなんでも叶えようとしてくれる母であった。
そんな母に私立学校の学費を払ってもらい通っていたわたしはとても贅沢な身分だったと書いていて改めて実感する。


だから、本当にお母さんごめんなさい、ごめんなさい、、


ごめんなさい…



ここからは辞めるまでのわたしを書いていこうと思う。

わたしは本当に怠惰で、少しでも楽な方、楽な方へとなんでも下方修正をする怠け者だ。


だから最初に学校を休みたいと思ったのは、自分の怠け癖がでているのだと思った。


日に日に怠け癖はエスカレートし、学校にいると、すぐに体調が悪くなった。
あわよくばサボりたい、みたいな考えが根底にあるので、体調が悪いことを言い訳に、度々欠席した。

確かあれは休んだ次の日、登校しようとした時だ。
電車が怖くて怖くて、最寄りの駅で何本も電車を乗り過ごした。
このままでは校門の前で走って登校しなくてはいけなくなるので、動悸がするが乗り込んでみた。

ドアが閉まった瞬間に、ドクドクドクドク、と走った後のような動悸とめまいがしてきた。
心臓が激しさを増し、嫌な汗がでて、ただ気持ち悪かった。
立っているのもやっとで、口から胃の中のものが出てきてしまいそうだった。

なんとかその日は学校に行くことができ、帰りも少しドキドキしながら電車に乗ったが、夕方という時間帯もあり、ゆっくり座って帰ることができた。



電車事件より以前から、わたしは家に帰るとイライラが収まらず、過食しては吐き、を繰り返すようになっていた。
(そして人生で一番太っていた)

母の目を盗み、学校でイライラしたことがあった日は必ずしていたと思う。
お小遣い稼ぎに、メンヘラ女子達が好みそうなパステルのハンドメイドアクセサリーを原価ガン無視の価格で売りつけては、少額だが儲けたお金で食材を買っては食べ、それを吐いて…と勿体無い事をしていた。


そして、母が帰宅する時間帯になると使ったものを綺麗に片付け、何事もなかったように振舞って夕飯も食べていた(そりゃ太るわ)。