読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

春愁

 

 

 

 

 みんな新しいせいかつがはじまって、

 

新しい出会いも増えて、

 

「あ、これ私取り残されちゃうのかな?」

 

 

なんて内心焦っても、

 

変わらないでいてくれる友人達と楽しい時間を過ごすことができて、存在が肯定されている気がして、とてもとても嬉しかった。

 

 

ずっと一緒の景色を見ていたのに、いつの間にかみんな、自分の道しっかり歩んでいて、私は悲惨な状態にさっさと終止符を打たないといけない焦燥感に駆られ、

 

人生暇つぶしだから

 

なんて言っていたのに、私の人生は実は暇つぶしなど悠長な事を言っているほど、私をここまで育ててくれた人達に時間が残されていない事を実感し、苦しくなるくらい耳元で何度も言われ、

 

帰りのタクシーのなかでひっそり、寝ているふりをして、叔母の死を願う談笑を右耳に、時間が過ぎるのが遅すぎる家路をメソメソと泣きながら帰った。

 

 

あんなに死に興味を示していたのに、死ぬことがこわいのだ。

 

 

お母さんの同級生のお母さんに、血糖値を下げるお薬を常用する程、常に血糖値が高い人がいたらしい。

 

でも、そのお母さんはお酒を手放さず、楽しく呑んだ日にお風呂に入って、朝、そのまま目が覚めることはなかったそうだ。

 

 

私は右耳からこの話を聞いた時、苦しく死んでいった友人を思い出して胸が張り裂ける思いだった。

 

 

明日へ進みたくない、過去にすがって今を無駄に生きている私は存在している事が、自分の招いた結果だと思うと、恥ずかしくて、苦しくて、無になりたくてたまらなくなる。

 

 

私の毎日は、自堕落な生活を送らないことが目標だ。

それは他人と関わりを絶って、自らを塞ぎこまないための最低の目標にしている。

 

 

自己肯定感が1ミリも持ち合わせていないので、他人に承認欲求を求めているのも自分で分かっている。

 

どうしても自己愛が持てないことが分かったので、他人に依存している状態だが、これが正直永遠に続くなんて甘く考えてはいない、若さに自惚れる事だけは避けようとしても若さに頼るしかない自分がこれまた情けなくて惨めな姿をしている。

 

 

私は姉を蔑んだ目で見つめながら育った。

実際に姉は少々不器用であるが、私には無い高いコミュニケーション力を武器に明るくいつも楽しそうに生きている。

いつもお手伝いを率先し、大人に褒められることを第一に考え行動をするしたたかな子供だったので、姉を反面教師にし、姉よりも優れている自分でいることが嬉しかった。、

 

そんな姉も、無事に大学を卒業した。

留学も仕事も資格も、様々なことに手をつけていて充実した大学生活に私は思えた。

姉に「お姉ちゃん」、と呼べず、「ねえ、あのさ、ちょっと」など、曖昧な言葉で呼んでいたが、今日は内心で「お姉ちゃん」と呼んだ。

 

 

 

大学が決まった時も、私は姉の入った大学を軽視していた。見た目や世間体に固執しすぎていた私はどんな時間を過ごすか、など考えずにいる狡い内心を隠しながら同じ家に住んでいた。

 

だが、私の空白も、姉はたくさんの記録をびっしりと埋め込んで、蔑んだ目で見つめていた姉は別の手の届かぬ人間に成長したように思えた。

 

 

 

 

家族に会うと自分が良くうつる鏡の目の前から縛られ動けなくなった様になった気がして苦虫を噛み潰す思いでいる。

 

 

 

 

情けない

 

 

 

お金作って遊んで勉強してお金作って遊んで勉強してお金作って遊んで勉強してお金作って遊んで勉強してお金作って遊んで勉強してのループ繰り返してます

 

自己投資惜しまないで生きて自分を好きになれるように努力してどんな痛みにも耐えていつ死んでも、よく頑張った、よく頑張ったねって慰めでもいいから誉めてもらいたくて、でも傲慢かなぁ

 

 

みんな頑張ってるんだよ!!一人だけヘラヘラヘラ甘えてるんじゃ追い付けないし賞味耐え難くなる前までに間に合わなくなるの!!!

 

生きてる以上自分に付加価値つける行為をサボったらどんどん堕ちていく一方だよ、自分の首閉めてるよ、生きやすくならないよ、ダメ、ダメダメ

 

少しでも甘やかしてしまう自分が情けない

明日の自分を好きになれるように生きていかないと堕ちていく、ズブズブブ

 

 

産まれながらにハイスペックの人が努力してるのに、私みたいなのが堕落してたら本当に息もできなくなっちゃうや

 

 

生きてるだけで許して、だなんて叫んで泣いてたけど、

生きてる上で必要なことたくさん抜け落ちてたよ、情けないね、情けない

 

 

 

生きてたらいいことたまに落ちてるみたいだから、上手にすくい上げられるように生きよう、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭がいたくても体が痙攣おこしても誰も可哀想だから許してあげようなんて甘くない

 

近況

 

 

 

死ぬなんて考える暇ないくらい予定詰めたんですよ、何時間単位で。

 

不思議なもので迷惑かけてはいけないプレッシャーから約束は必ず守れるようになって周りに迷惑かけてはいけないのでニコニコヘラヘラ都合いい子になってたらヘトヘトで睡眠薬でぐっすり。

 

 

明日死ぬかもしれない……

でも、明日のために筋トレしておこ、明日のためにちょっと食べるの少なめにしよ、とか明日のことを考えて生きていけるようになれたので少しずつだけど確実に進歩できてるなって嬉しいんです。

 

 

 
f:id:ru_ru_ur:20170220001844j:image

発達障害?

 

 

最近になってよく聞く言葉。

 

 

でも今までは話題にもならずにいたわけで、普通にああいう人なんだ、で済んでいた話でもあるけれど。

 

私も発達障害者としてここで書かせてもらうと、どうやったらいいのか分からない時が不意にくる。

 

人のこと無視したり、自分の行動を押し通してしまうこともある。

 

 


f:id:ru_ru_ur:20170125063345j:image

 

最近はキャンドルの灯をゆらゆらながめながら、この本をチラチラ見ては朝を迎える。

 

 

何週間も動けなくなることとか、本当に当てはまっていてそれに対する対処法がかかれているが、私は私なりに解決法は見つけているつもりだ。

 

 

自分の世界を持った人間が他者から見た時におかしいなって思うのはそれは自分の世界の領域を越えているか、理解の範疇にないのか、まったく別の世界を持っているかだけである。

 

 

この本は当たり前の事が当たり前ではない人に向けて書かれていて、私のような軽度の発達障害者ではあんまり参考にならなかったが、果たしてこんなあまっちょろい事が社会に出て必要とされる人間になるのだろうか?

 

 

人と外れた人間は両極端であると私は思っている。

一つは並外れた才能の持ち主である人。

もう一つは凡才で何も持ち合わせていない人。

 

 

私には器用になんでもこなせると言ったら言い過ぎだが、結構物分りは早いほうだと思う。

人と外れている、変わっている、とよく言われるが、私はどちらに分類されるべき人間なのだろう?

 

 

こうやって考えるより、みんな違うの、みんな違うからたまに自分に合う人間にあった時に運命に感じてしっくりきてしまうだけなんだ、って最近思うようになった。

 

自分の世界を壊さずに大切に育てて、他人との協調性を持てばすごく生きていて楽しい人生が送れるんだろうなぁ。

 

 

最近、すごく躁鬱が激しくて、あがっているからこんな事が書けているんだけれども鬱が襲ってきた時が一番怖い。

 

 

できる時にできることは何でもしておこう、こう心がけるようになったのはすごく進歩したと思う。

 

 

 

 

死んでも終わらない

 

 

 

終わると思っていたんですけど、

絶対終わらないんですよ、不思議でしょ

 

 

遺された人は死んだ人が何考えていたかなんて本当のところはサッパリなんですよ!

 

 

愛してた、好きだった、最愛の人が死んで、新しい恋人ができました。

 

でも亡くなったあの子をずぅっと引きづっています。

 

それに気づいている新しい恋人のどうにも出来ない苦しい気持。

 

 

私は当事者ではないですから、その新しい恋人の気持が完全に理解できる訳では無いけど、どれほど苦しいか。

 

死ぬのはやっぱり自分勝手なんです。

 

 

どんなに苦しくて手首、足、首どこらへんも血だらけにしている方がマシなんです。

 

 

首吊って未遂で終わった方がマシなんです。

 

恥ずかしくないんです。

 

 

死んだ後に根掘り葉掘りどうだこうだ、と騒がれる方がよっぽど恥なんです。

 

 

遺された人は終わらないループに取り残されて、生きている間グルグルさまよい続けるんです。

 

 

だから、少なからず死んだ方がいい人間はいるかもしれないけど、生きていることは義務なんだと思います。

 

 

死ぬ事は案外一時の感情と苦しさで死ぬことができます。

 

未遂何度もした私が言うのも変ですけど、死ぬ事は多分簡単だと思うんです。

 

 

ただ、どうしても取り返しがつかないんです。

 

 

死ぬ前に本当によく考えて

 

それでも苦しくて苦しくてたまらなかったら私を頼ってください。

他の人でも構いません、周りの理解者に助けを求めるんです。

 

 

私も死にたくなる時が少なからずあります。

 

その時は助けてください。

 

 

死ぬ事は悪いこと?

 

の答えに私は今なら、悪いことだよ

 

とレスポンスします。

 

 

生きるって苦しいね、でも生まれた瞬間から自分ひとりの人生ではなくなっていることも思い出して

 

 

ごめんね、なんて言葉では済まないんですからね

 

 

遺されたら年月を重ねる度にどんどん生きている者が苦しくなるんですからね

 

 

 

お願いだから、生きてください

 

周りとの関わりは絶ってはいけません。

 

 

 

このブログを読んでいる数千人の人にわたしは訴えます。

 

 

苦しいとき

 

めも

自分の感情に説明もつけられないくらい苦しいとき、何をするのも憂鬱なとき、はやく消えたいとき、自傷にはしってしまうとき。

 

そんなときはゆっくり紙にぐちゃぐちゃ書き出して、頭をカラッポにするためにちょっと他の力も借ります。

 

過呼吸になることもあるので、その前に苦しさを一時しのぎするためにお薬も使います。

 

やる気がどうしても起きないときは無理に出すのは辞めて、目の前の課題だけ取り組みます。

 

消えたくてどうしようもない気持ちだけはまだ解決法がみつからないので、自傷にはしらないように自分の体を強制シャットダウンさせます。

 

どんなに憂鬱でも朝は起き上がって水を飲みましょう、髪を直しましょう、一つだけ課題をつくってクリアすることにしましょう、絶対に寝込んだりするとあとが大変なのでここは重要です。

 

 

もしも寝込んだら、自分の好きなものを思い出してみましょう。得意なものを思い出してみましょう。少しずつ自尊心を取り戻していきます。

 

約束はできるだけ絶やさずいれることで、一人になって考え込む時間をなくす方法はあまりよくありません。他人からの干渉に憂鬱にもなるので、なるべく適度な関係性ができあがっている人と会うことで一人になったときの沈み混みを減らせます。

 

人として最低限ルールだけは守りましょう、約束は破らない、自分の行動で相手を振り回さない、自分に一杯なとき、余裕がないときは人と会わないでおく、ここも大事なところです。人に不快にさせてしまわないためにも、人としてなかなか上手く出来ていないので、相手の気持ちを思いやる余裕が持てない時は人と会うことは避けましょう。

 

 

自分に余裕がないとき、けれども、自分の沈み混みをあげようと誰かに会いたいとき、どちらを優先するかは、自分の行動に責任がもてるのかよくよく考えてから会いましょう。

 

 

甘えてるなぁって書いてて思うけれど、残念ながら今の自分には精一杯なのが現実、、

学んだことだけは忘れずに絶対繰り返さないようにしようね、わたし、、、